

ちょうど「ひいなめぐり」の開催中だった2月の末に城下町の散策をしたので、各邸宅には「雛人形」が飾られていました。
「磯矢邸」は、その土地には武家屋敷があったものの、火災が原因で19世紀前半に建て直されたようで、藩の休息の施設になった後、また武家屋敷に戻った建物です。
早速ご紹介します♪
「磯矢邸」のアクセス・開館時間・駐車場等
アクセス
施設情報
杵築市観光協会 施設観覧料のご案内
その他の駐車場は観光案内所でもらう観光案内マップをご確認ください。
磯矢邸

杵築ふるさと産業館から歩いて8分ほど、「大原邸」から2つ隣の屋敷です。
私は「大原邸」で共通観覧券を購入したのですが、お持ちでない方は「磯矢邸」でも購入できます。(磯矢邸だけの単券もあり)

単券だと1人400円。共通観覧券だと7施設で1,500円です。たくさん回りたい人は共通観覧券がおすすめです。
左が共通観覧券で、右は一緒にいただいたガイドブックです。「磯矢邸」にも行った後なので、「磯矢邸」の券も切られた状態です。

さて、早速立派な飛び石の上を歩いて、磯矢邸の玄関へと向かいます。
茅葺屋根の大原邸とは違い瓦屋根の家。「磯矢邸」は、杵築市のサイト磯矢邸の記事によると、宝暦のころ、江戸中期の1751〜1764年の期間は、安西源兵衛という武士が住んでいました。

寛政の大火(1800年)といわれる大火事で、この辺りの北台地域の武家屋敷群に大きな被害をもたらしたそうです。
磯矢邸の入り口でチケットを渡した際にもらったガイドブックには、文化13年(1816)に建てられたと推測されていて、その後、御用屋敷(公的施設)である「楽寿亭(休息の役割を持つ)」の一部に組み込まれました。
文政7年(1824年)に廃止された後は再び武家屋敷に戻り、加藤与五右衛門の屋敷になりました。

磯矢邸の玄関に着くと、かわいいひいな人形が奥に座っています。

玄関を上り奥に進むと朱色の鎧と、鎧の前には同じ色の刀と脇差がありました。
最近では文久4年(1864年)と刻まれた瓦や、元治元年(1864年)の棟札などが発見されているそうで、加藤与五右衛門が増改築を繰り返し、この頃には現在の形になったと思われます。

コンパクトなひいな人形です。

その後大正5年に磯矢氏が買い取り、平成6年に杵築市に寄贈したそうです。
畳の部屋から庭園が見えるのは本当に落ち着きます。

美しく手入れされている立派な庭園ですよね。

床の間にはひいな人形が置かれ、壁には掛け軸が飾られていました。
左の掛け軸はひいな人形の掛け軸で、ピンク色の梅か桜が舞っているように見えます。ひいな祭りの時期的には梅かもしれません。とてもかわいいです。
ひいな人形は、左は花嫁人形。右は立雛のようです。そして今気が付いたのですが…お雛様の左側にある札には「浩宮様」と書かれているようです!!
写真では光が反射していてすべての文字が読めなかったのですが、ご結婚記念のひいな人形のようです!

こうやってお屋敷の中からすばらしい庭園を見ていると、家にこんな庭園があったらなぁと思ってしまいます。

最初は天の川なのかなと思いましたが、よく見ると川の周りで詩を詠んでいるようで、琴のしらべを聴きながら平安時代の人たちが詩を詠んでいる様子でしょうか。
札には「曲水の宴」と書かれていました。楽しそうな宴で日本の歴史を感じます。

先ほども書きましたが、御用屋敷(藩の公的施設)に組み込まれたときは、休息の役割である「楽寿亭」であったことから、屋敷中どの部屋からも庭園の松竹梅を眺めることができて、「癒し」のおもてなしがあるお屋敷だったそうです。

さらに奥に進むと琴がありました。

「ご自由にお弾きください」とのこと。

楽譜?まであるのでこれは弾くしかないでしょう。ということで、楽譜を見ながら弾いてみたんですが、結構簡単に弾けました!私の弾く美しい?琴のしらべが庭園まで響いて満足です(笑)
私のほかに1人お客様がいたので邪魔になっていないか心配ですが…!

土間です。土間の上には釜や蒸し器が置かれています。

「ひいな祭り限定のスタンプラリー」のスタンプ台を発見したので、また用紙に捺しました。

そしてすてきな庭園に出て、大きさが均等な飛び石の上を歩いて散策です。

少し歩くと井戸がありました。昔は、特に上級武士の家にはこういう井戸が各庭園にあったのかもしれません。

磯矢邸もすばらしい場所でした!
まとめ
今回は、杵築市杵築の「磯矢邸」でした!
「大原邸」と同じく、とても立派な武家屋敷で、建物内も庭園も楽しめました。ひいな巡り期間中だったので、また違う楽しさがありますよね。
また、同じ敷地内に「栗原克美美術館」があるようですが、私が行ったときには入れなかったので、行かれた方はそちらもチェックしてみてください。
みなさんもぜひ行ってみてくださいね!