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【佐伯城跡(城山公園)】佐伯市大手町・標高144メートルで登山にもおすすめな城跡

佐伯城跡 櫓門

今回は、佐伯市にある佐伯城跡(城山公園)に行ってきましたのでご紹介します♪

日本の道100選に選ばれた歴史と文学のみち沿いにある城跡。

関ヶ原の戦い終結後、毛利高政が1601年に佐伯市に2万石を与えられ、1606年に築城が完成したといわれるお城です。

お城の築城にあたった市田祐定は、1576年に築城された安土城に関わった人物だそうで、有名なお城と関わりがあることがなんだか嬉しいと思いました。

この辺りのお話はお城に行く前に観光交流館で詳しく教えていただきました!

「佐伯城跡(城山公園)」のアクセス・駐車場等

アクセス

施設情報

住所
〒876-0831 大分県佐伯市大手町1丁目1-1
電話番号
0972-23-3400
(佐伯市観光案内所)
駐車場
近くに観光交流館
目の前に佐伯市歴史資料館 Google Map
さらに、佐伯城山ホールの近くに市営駐車場があります。
一番近いのは佐伯市歴史資料館前です。櫓門の目の前にあり、佐伯城跡に行く際は駐車しても大丈夫ということです(歴史資料館に電話確認済み)。

佐伯城跡、登る前の注意点

佐伯城跡

佐伯城跡に登る前の注意点を先に書きたいと思います。

写真を見ると、目の前の山の頂上が佐伯城跡です。標高144メートルでかなり高い山の上にあります。

しかも登る時に道がコンクリートではないため、スニーカー必須です!

山頂にはトイレがないため、先に済ませておきましょう。文化交流館がおすすめ。

急いで登って回って降りてきても、軽く1時間以上はかかります。山頂を回る場合は1時間半はかかると思います。

一番緩やかな道の「独歩碑の道」を行けば、登りだけで20〜30分使います。

また、山頂には自動販売機などもなく、特に何もないため、水分は持っていきましょう!(暑い夏は特に)。

夏でも登りや山頂は木の影になるところも多いため、直射日光が当たらず思ったよりは涼しいです。

かなり運動になるためオススメの散歩コース、というよりは、登山コースです。

毛利高政と佐伯城の歴史

佐伯城を築城した毛利(旧森)高政(もうり たかまさ)は、元々父の森高次が織田信長の家臣でした。そして1577年に(当時は森姓)森高政が秀吉に出仕します。

本能寺の変で信長が亡くなると、毛利氏との停戦のための人質交換に、羽柴陣営は重政と高政の兄弟を送りました。その滞在中に高政は毛利輝元に気に入られます。

この縁で毛利氏が秀吉の臣下となった後、毛利輝元より改姓の申し出があり、高政の一族は「毛利氏」を名乗るようになりました。

1595年9月に豊後国、日田と玖珠の土地を与えられます。ここで高政は大分に入るようです。

ちなみにこの頃、高政は玖珠町の角牟礼城の改修をしています。

1600年の関ヶ原の戦いでは西軍の石田三成に応じて参加しましたが、最終的に東軍の徳川方に投降しました。

1601年に豊後海部郡佐伯2万石へ所領を移すことになり、新たに佐伯城の築城を始め、1606年に佐伯城が完成。

築城には織田信長の元家臣で安土築城にあたった市田祐定がいました。

出火して本丸と天守の消失などのトラブルもありましたが、のちに修復。そして江戸幕府が終わり、1871年(明治4年)7月に、佐伯県庁が置かれ、佐伯城は廃城となりました。

その後、2017年(平成29年)に続日本100名城に選定。2019年(令和元年)5月2日には、佐伯市の文化財(史跡)に指定されました。

今回の目的

今回の目的です。観光交流館で聞いた情報!

    • 大きな階段を後で取り付けたために、佐伯城址が国の指定史跡(か何か)に登録できなかった。
    • 4層の階段状の石垣が全国でもとても珍しく、他に例がないそうで、国の指定史跡になる可能性がある。

こちらの記事に階段状の石垣の写真が載っていました。

(リンクを貼っていたのですが、元のURLがなくなっておりました…)

ということを山頂で確認したいと思っています!

登山口入り口と「櫓門」

佐伯城跡 櫓門

県指定重要有形文化財の三の丸櫓門(やぐらもん)です。

佐伯城跡 櫓門説明看板

三代藩主・毛利高尚の時に、藩主の居館を山頂から三の丸に移した1637年、藩庁の正門として創業されたそうです。

佐伯城では唯一現存する建築物です。

佐伯城跡 登山口入り口

こちらが登山口入り口。

佐伯城跡 ガイドマップ看板

案内図です。こちらはスマホなどのカメラで撮って行くのがオススメ!登った時に確認できると楽しさ倍増です!

佐伯市観光ナビにも同じものがありましたのでご参考に。

佐伯城跡 城山登山道コース

城山登山道コースは4コースあるようで、穏やかで登りやすい道から急勾配の道まであるみたい。

今回は穏やかで登りやすい独歩碑の道にしようかな、と思います。

佐伯城跡 鳥居
佐伯城跡 佐伯城址説明看板

鳥居を抜けると佐伯城址の説明です。

城山山頂の海抜は140メートル。1601年4月に日田より入った毛利高政はこの地を佐伯二万石の本拠地と決めて、まず山頂から築城を初め城下町の建設に取り掛かったそうです。

明治初年の版籍奉還、廃藩置県によって廃城になるまで、二百数十年、佐伯藩の藩庁としての役割を担ってきました。

佐伯城跡 登りの独歩碑の道
佐伯城跡 登城の道

軽い勾配をもう少し上に行くと道が2つに分かれていました。目の前の道が登城の道

こちら先程の案内図によると、

「藩政時代より続く、当時使用されたままの勾配のあるコース。中腹は昔ながらの景観が見られる」

佐伯城跡 独歩碑の道

右を向くと独歩碑の道

「緩やかで登りやすい。散策に適したコース。山頂付近には、捨曲輪(すてぐるわ)の一つが見られる」

佐伯城跡 城山登山道コース

念の為に登山道コースの案内をもう一度掲載しますね。独歩碑の道は大体20〜30分で着くそうです。できれば15分くらいで山頂まで上がりたいから速く登ってみよう…と思っていました、この時は…。

独歩碑の道

佐伯城跡 登りの独歩碑の道

緩やかな勾配ということだったので早速歩いて行きます!

佐伯城跡 登りの独歩碑の道

と思ったら…結構山道なんですよね。足元には木の根っこや石が埋まっていてデコボコ道。歩きにくいのでスニーカーで来てよかったです。

やっぱり登山コースですね!いい運動になります。

暑いんですが木の枝で直射日光が当たらないのでそこまで暑くないです。

佐伯城跡 登りの独歩碑の道景色

思ったよりも長い道。やっと景色が見えるところまできました。「もう少しかな」って思ったけど、ここからまだもう少しありました。

もう息が切れ切れ…笑。運動不足。

佐伯城跡 登りの独歩碑の道
佐伯城跡 山頂到着

やっと山頂につきました!!!バンザイ!!!結局15分とは行かず21分かかりました。

かなり運動になる道。他の道はもっとキツイみたいなので、初心者はこの独歩碑の道がいいみたい。

山頂・釣りバカ日誌の看板・階段状の石垣

佐伯城跡 本丸跡への階段

ここが本丸への階段です。この階段ですね!今日の目的の一つ。

後から付け足したので、佐伯城が国の指定史跡か何かに登録されなかったそうです。すごく残念ですよね。

でも結構石垣が高いから、階段がないと登れなさそうじゃないですか?

佐伯城跡 山頂からの景色

振り返ると佐伯の絶景!!街の向こうに海に繋がる川と、緑の濃い山。美しいですよね。ベンチがあったので座って眺めることもできます。

佐伯城跡 釣りバカ日誌看板

そして近くには「釣りバカ日誌のロケ地」の看板が。ここでロケをしたんですね。

佐伯城跡 階段状の石垣への道

それでは階段の右側、こちらに歩いて行きたいと思います。

佐伯城跡 北の丸跡への道

奥に歩いて行き、ここから振り返って下を見ると、

佐伯城跡 階段状の石垣

今回の目的のもう1つ、階段状の石垣です…思ったのと違う感じですが、前述したURLで見た写真よりも2年ほど過ぎているらしく、草がたくさん生えていました。

でも段状になっているのはわかりますよね。

非常に珍しい石垣で国の指定史跡になる可能性があるようです。

佐伯城跡 滑る草

ちなみにこのたくさん生えている草はツルツル滑る草だそうで、たくさん生えていると上に登れないために昔の人が植えたそうです。

触ってみましたが確かにツルツルしていて、たくさんあると登れなさそう。お城を守る草なんですね。

この階段状の石垣を一人で見つけるのは難しいので、ウォーキングをしている年配のおじさま方に話しかけて、この階段状の石垣の場所と草の話を教えてもらいました。

その方々にさらに、「少し先のところにある場所から下に行くと、雄池・雌池(おいけ・めいけ)があるよ」と教えていただきました。

そこは後ほど行ってみることに。

本丸跡〜二の丸跡〜西の丸跡

佐伯城跡 本丸跡

まず最初にあった後付けの大きな階段に戻って上に登ると本丸跡です。ここは一度火災で消失しているようです。

その後6代目高慶によって修復されたそうです。

佐伯城跡 山頂の道

そこから奥に進み、

佐伯城跡 山頂の道
佐伯城跡 二の丸跡

広場の奥には二の丸跡

佐伯城跡 二の丸跡からの景色

ここからの眺めもいいですね。

佐伯城跡 独歩文学碑

右手には「独歩文学碑」。最初は左から一生懸命読んでいたのですが、あるとき右から読むことがわかりました。笑

国木田独歩も佐伯城跡や佐伯を愛したそうで、佐伯市内をよく歩いていたそうです。

佐伯城跡 二の丸跡からの道
佐伯城跡 二の丸跡からの道
佐伯城跡 西の丸跡

そこから左に向いて歩くと西の丸跡

佐伯城跡 城山144m

奥に進むと「城山(八幡山)144m」と標識がありました。

佐伯城跡 西の丸跡からの景色

天気もいいし、最高です!!

雄池・雌池〜北の丸跡

佐伯城跡 橋

そこから戻ってきて本丸跡の下の道を行きます。

佐伯城跡 若宮の道下り口

先程の階段状の石垣のそば、先程年配のおじさま方から教えてもらった「雄池・雌池(おいけ・めいけ)」に行ってみたいと思います。

佐伯城跡 雄池雌池

「すぐ下に降りたところから見える」というお話だったのですが…ちょっと下まで行ってみたけど、わかりませんでした。

この道は若宮の道だそうでしばらく探したのですが、「若宮八幡宮へと続く雄池・雌池のある裏手コース。雄池への道は非常に細いため、注意して通行を」ということなので、諦めて戻りました。

結構道が細くて普通に山でした。「雄池・雌池」はそんなに遠くない場所だと思うので、知っている人と行くとすぐにわかったと思います。

佐伯城跡 雄池雌池説明

案内図で見るとこちらの写真ですね。水をはったところがなかったんですよね。乾いてることがあるのかな?

佐伯城跡 北の丸跡の道

気を取り直して、本丸の右手の方へ行ってみます。

佐伯城跡 北の丸跡の木

北の丸跡です。奥には特徴的な木が。進撃の巨人ファンはちょっと引っかかってしまいそうな感じがしますが…あえてスルーしましょう。

佐伯城跡 北の丸の道

奥まで歩いてみました。

登りからここまで、写真を撮りながら速めに歩いても1時間近くかかりました。本当にいい運動。次の日に筋肉痛になっていたのは内緒です!!

下り

佐伯城跡 下り独歩碑の道

満遍なく見たので降りることに。下りはゆっくりと降ります。

佐伯城跡 下り独歩碑の道の椅子

同じ独歩碑の道。そういえば登りでは写真を撮らなかったのですが、きちんとベンチもあるので疲れたら休めます。

下りの時にジョギングをしている男性がいて、下から登ってきて上からまた降りて、下から登ってきて…と同じ人に3回遭遇しました。

私がゆっくり降りている間に3回も合うなんて!この道を走るなんてすごいなぁと感心しました。

佐伯城跡 下り独歩碑の道

ようやく降りられて一安心。ここから観光交流館に戻り、一休みしました。

まとめ

今回は佐伯市の佐伯城跡に行ってきました。

緩やかな勾配を歩いて登るのにも20分以上かかり、かなり運動になる登山コースです。

登るときも降りるときも、人とすれ違う際はみなさん挨拶してくれます。

きっといつも登っている人たちなんだろうなと、家が近ければ私も1週間に1回は行きたいところです。

佐伯市に行ったときには一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

  • この記事を書いた人

ねーこ

このブログの編集長。大分県大分市出身。大分が大好き!趣味は行ったことのない「場所」に行くこと。そして何気ない「会話」や「町並み」「景色」を楽しむこと。自分の行動を通して大分の情報を発信していきます。

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