臼杵市にある臼杵城跡に行ってきましたのでご紹介します♪
戦国時代に臼杵湾に浮かぶ丹生島に、大友宗麟によって臼杵城の前身となる「丹生島城」が築かれ、そこが大友氏の拠点となりました。その後江戸時代には稲葉家が入り、臼杵藩の藩庁が置かれました。
「臼杵城跡」のアクセス・駐車場等
アクセス
施設情報
(臼杵市役所おもてなし観光課)
臼杵城跡散歩
天気が良くて気持ちのいい日でした!臼杵城跡は今は臼杵公園として残っていて、散歩コースにもなっています。
こちら臼杵城跡の地図です。念のため確認してから上に登ってみましょう!
こういうお城とかすごく好きです。ロマンがありますよね。登っているとワクワクしてきます。
鳥居をくぐり、
道なりに歩いていくと鐘がありました。「原山時鐘」です。1700年に鋳造(元禄13年)されたそうです。
2001年(平成13年)に木造で復元された大門櫓です。
階段を登って門をくぐると中には「梅の木」があり、梅の花が咲いています。ちょうど梅の花の時期ですね。
臼杵城跡は「桜のお花見スポット」でもとても有名な場所。お花見の時期は3月下旬から4月上旬で、毎年「臼杵城址 さくら祭り」が開催されます。
門を入って右側に歩くと石段があります。こういう場所が大好きでついつい登っちゃいます♪
本当にお天気が良くて、城下町がとてもキレイです。上から見る景色も最高ですね!
公園内を少し歩きます。
お城の歴史が書かれています。1873年(明治6年)に廃城となり、臼杵城は公園となりました。
政府の決定とはいえ廃城になってしまったことが残念でなりません。
こちら「臼杵公園の宗麟像」と「フランキ砲」。
南蛮船や国崩を背景にして凝視する、精気漲る最盛期の彼の姿を刻んだ「大友宗麟像」というレリーフです。
引用:臼杵市ホームページ
この宗麟像は1937年(昭和12年)に作られたものの複製品。この像自体は1982年(昭和57年)に作られたものです。
大友宗麟は一時期、北九州6ヵ国を支配下に治め、筑前国(今の博多港)も手中に治めたため、海外貿易によって莫大な富を得ました。
ただ最盛期後、キリスト教が絡んだ宗教問題や一族の問題で大友氏は没落していきます。
このレリーフはその背景を物語る宗麟の姿を描いたものです。
こちらは「フランキ砲」。1576年(天正4年)に大友宗麟が、日本に布教に来たポルトガル人宣教師達からフランキ砲を輸入したとされています。
日本で最初の大砲だそうですよ!
そしてその奥に行くと広場がありました。このもっと奥に本丸跡があるようです。
回ってくると護国神社。
そして神楽殿です。
臼杵市の指定有形文化財に指定されています。
歩いていくとまた石垣に階段を見つけました。ここは「会所櫓跡」です。また登っちゃいましょう♪
景色がいいんですよねー♡本当に気持ちが良くて、臼杵に遊びに来てよかったと思います。
一通り見終えて降りてくると鴨が泳いでいました。こういう何気ない風景が好きです。
臼杵城跡の「スタンプ」と「御城印」
近くにある「臼杵市観光交流プラザ」では「続日本100名城のスタンプ」と「御城印」の販売も行っています。
気になる方はぜひ見ていってくださいね♪
まとめ
大友宗麟は、大分県の人なら知らない人はいないほど有名な歴史上の人物。
大友宗麟築城の臼杵城、その跡地は散歩をするにもとてもいい場所で、今なら梅の花も見ることができます。
桜の時期は桜の名所にもなっている有名な場所です。
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